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SWING(閉店)

お店概要

1.住所 渋谷区宇田川町10−2 新東京ビル
2.最寄り駅 渋谷駅 徒歩10分程度
3.予算 コーヒー500円 コーラやビールなどもある
4.営業時間 11:00〜23:30 無休 1997年のクリスマスに閉店いたしました
5.CDとレコード 映像のJAZZ喫茶  LDとビデオが沢山ある
6.リクエストノート あり
7.お店のURL
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組合長のコメント

1998.1のコメント
97年のクリスマスをもって渋谷SWINGは閉店してしまいました。すごく残念です。
ネコさん、おじさん、おばさん、何処へ行ってしまったのでしょうか?元気でやってますか?
長い間JAZZファンを楽しませてくれて本当に感謝しております
僕の青春が一つ消えてしまったようですごく残念なのですが、今はとにかくこの感謝の気持ちをのべさせていただきます。
みなさんも閉店はしてしまいましたがSWINGに関するエピソードや感謝の気持ちを引き続き送ってください。

1997.8のコメント
非常に見つけにくい所にありますがJAZZファンなら是非一度はいっておきたい映像のJAZZ喫茶です。
中に入るととにかく大きなスクリーンがあり、暗闇の中で人々が静かに映像を見入っているのがわかります。スクリーンの近くに入り口はあるので彼らのじゃまにならないように素早くスクリーンを横切り着席!
これがSWINGを楽しむマナーでしょうかね。
ジャンルとしてはJAZZありFUSIONありFUNKありといった感じでなかなか広範囲で楽しませてもらえます。ビデオやLDはかなりの数があって、古いテレビ番組や珍品映像も盛りだくさん!歴史の深さが感じられます。
そうそう、リクエストノートがかなり変わった作りとなっているので必見です!こんなリクエストノートは他では見られない珍品です。
暗闇になれた頃に、一匹の黒猫がいることに気がつきます。このネコが平気で足下に寄ってくるようになったらあなたは立派な常連客となったと思っていいでしょう。 
なお、この店のコーラは薄いような気がしますが、決して文句を言ってはいけません。

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組合員からのコメント

2012.2.14 木乃素様 懐かしく・・
たまたま、どうなっているかナ?とふと思い、ネット検索で、今更ですが、閉店を知りました。
1990年前後に、くつろがせていただいた店です。
当時、職場は広島でしたが、出張で度々東京に行く機会があり、そんな時は必ずといっていいほど立ち寄り、 ウイスキーのロックを2~3杯飲んで、おいとまするのがパターンでした。
大きなスクリーンでライブ感を味わえる店は、他に知りませんでしたから、画像が荒かったり、 音質が悪かったりしながらも、あそこで過ごす数時間は、私の感じる昭和の東京の名残りです。

2009.4.7 こんどう様 なつかしい
このページにたどりついて皆さんのコメントを読んだ時思わず目頭が熱くなりました。
swingが閉店してしばらくして僕は宮沢さんと渋谷でおちあい、お茶をしたことがあります。
どうしてもやめた理由を聞きたかったからでマスターはもう体がいうことをきかないんだよとさびしげに話しておられました。
そこでいろいろと今まで教えていただいたお礼を言って別れましたが、、、
あれからずいぶん経ちました。
いつも黙ってコーヒーを入れて、お客さんの好みも頭に入ってるようで、 暇なときにのぞくと自分の好みのビデオを黙ってかけてくれたという経験をされた方は僕だけではないはずです。
僕の青春はswingとともに終わったような気がしてなりません。
ニューシネマパラダイスのような世界がこんなに近くにあったんだということを今は宝物のように感じ思い出を大切にしてゆきたいと思います。
マスターは僕があこがれる大人でした。

2008.7.7 アクア庵ひろ様 残念です!
一日居ても飽きないお店でした。東京から千葉へ移り住んで何年か前に一度訪れてみましたが、お店が無くなっていてがっかり。どこかへ移転されたのかと思っていました。マスター亡くなられたのですね。。。こちらの記事を読んで今日初めて知りました。非常に残念です。。。mixiにコミュニティを作りました。

2007.12.26 三遊亭様  あぁ懐かしの...
今日,『いーぐる』マスターの新書,『四谷いーぐるの100枚』を読んでいたら,懐かしの情景がさめざめと浮かんできました.
Jazz喫茶といえば,大学近くの『Girl Talk』が始まりですが,1980年代前半の学生時代,渋谷のJazz『映像』喫茶の渋谷Swingが画期的でした.ほぼ毎月出入りしていましたね.マスターのテキトーな英文スペルもいい思い出です.映像で見るJazzって,インパクトありましたね.オヤジさん,ご冥福をお祈りします.お世話になりました.
あとは,『いーぐる』は別にして,神田の『響』も書籍購入後のセットとして,快適な空間でした.
今の職場近くの,門仲床屋のJazz喫茶『タカノ』も渋い店でしたねぇ.
そして最近まで懇意にさせていただいた,中目黒『A列車』.マスターの病死は本当に残念です.
Jazz喫茶マスター,皆さんヒトカドの個性をお持ちで魅力的です.先細りは致し方ありませんが,この文化をいつまでも絶やさず,当方の老後の楽しみにさせて下さい...

2007.6.24 naomi様 あの頃に戻りたい
もう何年も渋谷スイングのその後の情報を知りたくて様々なジャズ関係の出版社などに問い合わせたことがありました。もっと早くJAZZ協同組合さんを見つければ良かったと思います。
マスター、亡くなられたんですね。それも最近に。残念で仕方がありません。お嬢さんが場所を移してどこかで続けて下さることを願っていたのですけれど。私は97年の閉店間際まで通っていた常連でした。ちょうど最後を迎える何日か前に仕事で行けずにそれっきりでした。その後行って見るとパスタ屋さん?でしたでしょうか。いつものお店が無くなったことに非常に淋しさを感じました。
スイングの想い出は私が大学のために上京した時から始まります。ここの常連さんからしてみれば私はまだまだ若輩者ですが、私なりの想い出を投稿させて下さい。

当時、大学のジャズ研に所属している頃にジャズ誌で調べ、スイングだけではなくいろいろなジャズ喫茶に通っていたのですが、特にスイングは憧れを抱きつつ店に出入りしたのでした。女の子ひとりでジャズ喫茶に通うことは当時珍しくなかったので、ちょっと大人の気分に浸りたかったのがあって、一人で行ける雰囲気にどっぷりと浸かっていました。
その後、卒業し一定期間行ったり行かなかったりとあり、その都度スイングに来ては「まだ営業していて良かった」とホッとしたものでした。当時はどんどんジャズ喫茶が地上げなどで消えていった時代だったので、マスターのご年齢のこともあり、しばらく行かないと気になって仕方がありませんでした。
その後アメリカへ留学し、4、5年日本を留守にしていたので、帰国して真っ先にスイングへまた通いだしました。1996年のことです。その頃の方が頻繁で、渋谷に仕事に行くたびに帰りは立ち寄っていました。でも2年も続かなかったんですね。
アイスコーヒーが忘れられません。確かもともと甘いコーヒーなんですよね。ミルクが付いていて、ミルクを入れ終わるとマスターがそそくさと容器とストローの入った紙を片付けにくる。とってもきれい好きなおやじさんだと思いました。
店が閉店の時間辺りになると、バナナを半分にカットしたのをよくいただきました。私が学生の頃には居なかったお人形のようないでたちのお嬢さんと猫ちゃんもお店には常にいらっしゃいましたね。猫が少し空いた扉から出入りし、テーブルの下のお客さんの足下をスルスルと抜け、カウンターへ行くのはいつものことで、頭をなでるとしばらくじっとしてくれました。でも過剰に客に媚びないツンとすました猫でした。
マスターが近所のCDショップでビデオやCDを買って戻って来るのに遭遇したことが何度かありました。印象的だったのはグールーの「JAZZMATAZZ」のビデオを買って戻って来た時でした。店には私と弟、もう一人の男性のお客さん3人しか居なく、マスターは待ちかねていたようにビデオをセットしたんです。もちろん出て来たのはヒップホップ大御所のギャングマスターのグールーですから、クラブ系の映像ですよね。マスターは面食らいつつも、いつものごとくノートにスタンプでライナーノーツを付けていました。男性のお客さんは「おやっさんには参ったよ」(おやっさんは若いなぁ、という意味)と言っていたのが忘れられません。私たち兄弟にとっては見たかったビデオを全部見せていただいたわけですから得した気分でした。
その他には渋谷でのコンサートがある時に、帰りにはスイングへ必ず寄って締めくくったものですから、アーティストの演奏がいまひとつだった時など、「ここ(スイング)でレーザーディスクやビデオを見た方がよっぽどいいよね」なんて弟と反省会をしていたものでした。
長々とお許し下さい。本当にスイングには私の青春時代が一杯詰まっているんです。いつもマスターの意欲的なジャズを聞かせる姿勢には驚かされました。そして、行くたびに良くして下さってありがとうございます。マスターのご冥福をお祈り申し上げます。
組合長:思いの詰まったコメントをありがとうございました。僕もSwingにはたくさんの思い出があります。時間は流れているのですね。最近はああいった匂いのする店が少なくなりましたね。でもまだまだ良い店は残っているはずです。明大前のマイルスなんかは今のウチに楽しんでおこうかな?なんて思ったりしています。

2007.4.17 vesta_graham様 いつまでも忘れません・・・Swing
マスターが亡くなられたそうです。
享年92才だったそうです。
一昨夜お通夜がいとなまれたとご連絡を頂きました。
今は遠くに住まい、自分の子供も自分がSwingに通った年代に近づきました。そんな今も東京出張の際は、宇田川町に出向き、Swingがあった場所を確かめに行きます。
いつもモダンないでたちのマスター、神秘的な娘さん、物憂げな白猫、心の中では、ずっとSwingは生き続けています。
マスター、渋谷でのひと時、ありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
組合長:そうですか・・・残念です。なんだかSwingはいつか何事も無かったかのように復活したりするのではないかと感じていたのですが。ご冥福をお祈りいたします。楽しい思い出ありがとうございました。

2006.10.19 サンミグ様 青春時代の1ページ
現在は島流し?で、約30年、常夏の国「フィリピン」に住む68歳のオジンです。
デキシーランドJazz気違いで毎日のように通っていたのが渋谷の「スイング」でした。
最初の店は「DIG」の先角を右に曲がった所にありましたが、その後「DIG」の斜め向かいへ移転しました。
そして数十年前、フィリピンから久しぶりに訪ねたところ別の場所に移転しておりましたが 未だデキシーとスイング、中間派Jazzのレコードを聞かせておりました。
ジョージルイスとスイングで会い、彼の10”のレコードにサインを貰ったことを覚えています。
ファイヤーハウス+5のバンドリーダーであったトロンボーン奏者のウオード、 キンボールから送ってもらった写真数枚やジーンクルーパー、エラ.フィッツジェラルド、オスカー.ピーターソンなど、 JATP一行のサイン入りを宮沢さんに貸したままですが、今、どこにお住まいなのでしょうか?
今更、返してくれと言うつもりはありませんが、
渋谷スイングは懐かしい私の青春夕時代の思い出として異国で懐かしく思い出しております。

2006.8.13 ぐりぐり様 閉店を知りませんでした。10年とは!
こちらは青春時代随分お世話になりました。
百軒店にお店があった頃からです。むしろ
公園裏の映像主体になる前のこの頃方がよく通いました。
あれは70年代でしたね。
要するに学生時代に学校をサボっては通っていたわけです。西武B館隣の名画座も良く行きました。
マスターが大柄のチェックのフランネルのシャツに中折れをかぶってお店に来る姿、くわえ煙草でコーヒーを入れる姿、メチャメチャかっこよかった。 Quadoの真空管アンプを使っていて、これも羨望の眼差しで思いで深いです。
当時はフレディー・ハバードのトランペットが好きで、よくリクエストしていました。そうしたら、自分が開店早々に一人で入ったら、フレディー・ハバードをかけてくれて嬉しかったな。あれは娘さんのほうだったかな。目がくりっとして愛らしい方でした。
今日、実はん十年ぶりで渋谷に出かけ店に行こうと思って、ふとネットで検索したらこのページを見つけ、愕然とし、失われた歳月を思い、不覚にも涙をこぼしました。そして皆さんの同じような青春体験にも。
もう一回あの親父さんに会いたい。
組合長:懐かしい風景ですね

2006.5.11 久下昌三様 閉店直前の常連でした
はじめて行ったのは1980年頃(中学1年)だったと思います。
兄が当時ジャズギター好きだったので連れられて。
でも見たのはフュージョン系のビデオばっかりだったと思います。
ジャズフェス系とかサンタナとかマイルスとか。
その頃は大阪に居たので、たまに上京する時は必ず寄っていました。
いろんなジャンルのモノがありました(省略)
まだお客さんが多かったし、
宮沢さんに声を掛けるというのは恐れ多かったです。
頑固親父でしたし。
娘さんの存在もこの頃は知らずで。
21才の時、病気がきっかけで上京してからも、たまに行く機会がありました。
関東を転々としてたので長時間居つづけることはありませんでしたが。
26才になって渋谷東に引っ越しました。
ここから常連になってしまいました(苦笑)
閉店前の27才の頃には、
もうお客さんが殆ど来てませんでしたね…
宮沢さんとも娘さんとも猫にも好かれてしまって。
嬉しいやらこそばゆい感じでした。
自宅の電話番号は知っていたのですが、
自宅も引っ越すような話を聞いていたので
電話帳からは消えております。
コンタクト取れればいいのですが。
あがた森魚さんらしき人や国家公務員や生活保護者の常連さん等、思い出すと泣きそうになります。
買ってきた弁当を勝手に食べたり、
坂本龍一さんの「千のナイフ」を聞いたりして、
失礼だったとは思うのですが…
宮沢さんはしょんぼりしてましたね。
(お客さんが来ないことに対して)
娘さんはボサノバが好きな人だったので、
坂本さんのCDは興味深く聞いておられました。
きりがないですね。(笑)
もう36才になってしまいました。
音楽をコソコソとやっております。
他の常連の方に失礼かと思ったのですが、
資料になればと思い投稿した次第です。
無礼をお許し下さいませ。
組合長:長文ですね。深い愛を感じます。

2006.2.4 私は怒っています  hoko-san様
イヤー、こんな投稿ができるなんてほんとにうれしい。スイングに関しては謎だらけです。
いつかマスターに問いただそうと思っていたのに突然消えてしまうなんて。よくある最後の集会とか、パーティーとかやったのですか。くやしい私も出たかった。だって誰かも書いていたけど私の青春ですもの。どうしてパブリシティーで告知するとか、スイングジャーナルに特集を載せるとかしなっかったのですか。
もし、出てたのなら謝りますが・・ひどいじゃないですか半世紀も通った客をほっぽるなんて。
せめて東急ハンズ向かいの裏筋の店の跡になんか書いていってほしかった。連絡先とか、やめた理由とか(マスターのお年では色々大変な事もあったのでしょうと想像はつきますが)第一娘さんはまだまだ元気そうでしたが、どうして後を継がなかったのでしょうか。
そういえば百軒店の頃水道橋スイングと双璧だった
デキシーの専門店を一夜にして完全にモダンジャズの店にしてしまったのはなぜですか。あれだけあったデキシーの名盤が一枚も残っていなかったのはなぜですか。たまたま私はモダンジャズに少し興味をいだいていた時期だったのでなしくずしに許してしまいましたが店内に何の説明もなかったのはなぜですか。 未だにポッカリあいた穴がふさがりません。
その後も突然映像主体の店になって、もう私は逆らう気力もなくなってだまってついて行きました。そしてこの結末です。あーたってゆー人は一体何だったのですか。もう知りません。私は怒ってます。

2006.1.31 おやじガンバレ! ムルギー様
高校時代、大学時代にしょっちゅう行ってました。けだるい感じのウエイトレス、美人で近眼のウエイトレス懐かしいです。2年くらい前、渋谷でswingのママ(日本人形のような人、マスターのお嬢さん)にばったり会いました。いろいろあって閉店したようですが、おやじさんはまたいつかjazz喫茶を開くんだと言ってるそうです。おやじガンバレ!swing復活!

2005.10.20 ありがとうSwing! 中古CD屋様
ボビー・エンリケスのCDを聴いていたら、「そういえば昔、Swingでよくリッチー・コールのLDをやってたな」と思い出して検索してみたら、こちらのHPを見つけました。
私が頻繁に通っていた時期は80年代前半あたりで、ある時期からレコードを処分してLD中心に切り替えたりしていました。街中の喧騒から隔離された貸切のような快適さの店内で、娘さんが「まいどぉっ」と言って持ってきてくれるメチャ冷えのビールが最高でした。おじさんのアロハ・シャツと帽子、娘さんのヘアー・スタイル、釣竿とバド・パウエルの絵がとても印象に残っています。プリアンプはクォードだったかな?
私がいるときはなぜかEddie Harris in the U.K.のレコードがよくかかり、レコードを処分していた時には思わずそれを買ってしまいました。今も身近に飾ってあります。
仕事に没頭するようになってからは、渋谷に出かける機会がなくなってしまいましたが、閉店していたんですね。一生忘れられない本当に良い思い出を残してくれた店です。

2005.5.3 オヤジさんの一言 ほげたまる様
渋谷SWINGによく行っていたのは、80年代末から90年代はじめにかけてです。
開店したての午前11時頃、ほかの客もまだいない一番のり状態で、カーラブレイをリクエスト。
視聴してると、オヤジさんがしかめつらで一言。
「カーラブレイは下手だなあ!」
うーむ。。。そうでつか。オヤジさん。
まあわかるけども(笑)
そのLDが終わり、次に秋吉敏子オーケストラをリクエスト。
視聴してると、オヤジさんがこれまたしかめつらで一言。
「トシコはいいよ!うまいよトシコは!」
うーむ。そうでつか。オヤジさん(笑)
すげーなつかしいです。オヤジさんはどうされてるのでしょう。

2004.11.30 懐かしくなって yokohama.yasudat様
インターネットを検索していたらSwingの文字を見つけ、懐かしくなってつい投稿してしまいました。
40年前1965年頃にSwingに行っていました。当時Swingは渋谷と水道橋にありました。渋谷はデキシーランドジャズ、水道橋はスウィングジャズを中心にしていました。
渋谷では週末はジャムセッションも行われていました。その数年後渋谷はモダンジャズに変わっていました。思い出すのは入り口の左に大きな水槽があって鮎をかっていました。
40年前の思い出、記憶は大丈夫かな???

2004.9.8  はまった。 チルチルミチル様
10年近く前に当時アメリカ人のジャズドラマーと結婚していた私もジャズピアニストなのですが、久々に日本へ一時帰国する機会があり、旦那と東京に滞在しました。音楽狂の兄に連れられて、たこ焼屋の前を通りあのビルの奥へ歩いて行きました。「ここだよ」どこだよ!と思いつつ...それがSwingとの出会いだったんですよねー。
ドアの前で兄に「静かにね、ね!」とこそこそ念を押され、入った途端に旦那がまずスクリーンの前で立ち往生しちゃいまして、兄に引っ張られて訳もわからず席に着いたんです。皆こっち見てるから何事かと思った。最初に言ってくれればいいのにさ!と思いつつ...目が慣れてくると真昼間だってのに背広姿のサラリーマンが3−4人まばらに座っていましたね。
いやあ、スクリーンの場所には参りました。旦那もあたふたしていました。いきなり教壇に立った先生状態でしたから。ましてや暗闇。ましてや初めての日本、初めてのジャズ喫茶。
とにかく席に着いて、兄がうちの旦那にシステムをこそこそ説明して、日本のオタクに匹敵するオタクの彼は目を凝らしてあのメニューをめくりはじめました。その時は確かマイケル・ブレッカーのブートレッグを上映していたと思います。
それとあの匂い!ボーリング場というか、古い車のなかというか...カビというよりは苔の匂い。嫌いじゃないですけど。まさにレトロな香り(古臭いって事)!
しばらくすると無言であのおじさんがオーダー取りに来て、ビールを注文しました。頑固度120%って感じですよね!怒ってるのか機嫌悪いのか、音楽を聴いているのかわからないおじさん。
で、飲みながらだんだんとリラックスモードに入っていきました...するとやっぱり人がたまに入ってくるんですが、スクリーンの前でビビってる人やっぱりいるんですよね、でもその時自分はもう解ってるので「ぷっ」とか思ってたりして。
とにかく濃い濃〜い場所でした。
後日に久々の里帰りで忙しかった私は旦那に自由行動してもらってたんですが、その度にSWINGにいって帰ってくるのでみんなに笑われてました。彼にとって全くの天国だったのです。ストレイトアヘッドやアヴァン・ガルド以外にもガッド・ギャングとかフュージョンなんかも結構充実してましたね!私もその日本滞在中に3回は行きました。旦那は6回くらい行ったみたい...日本語あまり必要ないですもん。声出せないし!
何年か後に、兄にSWING閉店と聞いてかなりショックでした。ビデオも大放出していたらしく、行きたかったんですが...旦那も落ち込んでました。日本で一番印象に残ったのがSWINGだったみたいです。
あのおじさんは今何処にいるんでしょう。

2004.3.30 青春の1ページ satopy様
今は田舎に帰り、年に一回あるかないかの東京で、安息の場所(スウィング)が無くなり、渋谷に寄ることもなくなり青春の1ページとして思い出されます。あの異次元空間に入り浸っていた日々。今でも脳裏に浮かびます。
マスターとママさん(娘さん)は、お元気なのでしょうか?確か宮沢さんだったと思います。映画好きのママさんは、何処かでお店をやっているのでしょうか?よくビールのおつまみを大盛りにしてくれました。寝てしまってもいやな顔もせずに微笑んでくれました。自分でもよく寝れたなと不思議な・懐かしい日々です。

2003.10.25 60年代の百軒店にもありました BONパーキンス様
60年代の初めから6年間渋谷で、学生で過ごした頃、毎日ジャズ喫茶通いの毎日でした。道玄坂から百軒店に入って左の突き当たりにデキシーを聴かす「スイング」ってのがあったように思います。
その横の階段を上がると「ブルーノート」というベレー帽だったか、ハンチングを被った細い船員あがりという噂の洒落たおじいさん?がいました。
スイングの斜め前が「デッグ」ここが込んでいるときはオーネット・コールマンの「フリージャズ」をかけるとどうしてか皆出て行ったものです。
前の筋に「ありんこ」がりました。「ありんこ」へは毎日のように通いました。
「ありんこ」のママは、東京を離れて数年後亡くなられたと聞きました。色の白い美人のママでしたが、静かで胸が悪かったのか、時折、苦しそうな咳をしていました。マスターって三崎さんて言われるんですか?色の白い痩せた髭の濃い人でした。
「ありんこ」を貸し切って金粉ショウのパーティをすると唐十郎や大久保鷹、麻呂赤児、李礼仙、・・が来て、雨さんや祐さん(嵐山光三郎)が踊りました。
金粉ショウが終わると、すぐに近くの銭湯に行った。
(道頓堀から飛び込むと、今はあまりに臭くて汚いので銭湯が入浴拒否されますが、当時は良かった時代でした) 当時は、ハイミナール、ドリデン(睡眠薬)を飲んで、ラりった女の子もよくいました。 ネットスイングして、「しゃんくれ」からあっちこっちへ行って懐かしの渋谷へ来ました。
組合長:投稿ありがとうございました
渋谷の百軒店周辺の投稿は、数も多く、その場所が昔は非常にジャズ好きの人間には良い場所だったことがうかがわれます。 僕もそのころの百軒店に行ってみたかったです。 今後とも組合をよろしくお願いいたします。

2003.3.11 渋谷スウィング じゅんじゅん(^^)v様
渋谷スウィングの宇田川町のお店はほとんど知らないので分かりませんが、道玄坂のお店は斜め向かいの@grooveの階段から見ると、建物だけは当時のままですよネ。スウィングが宇田川町に移ってから、いかがわしいお店になってしまった名残は残ってますが、屋根がそのままです。お店のお兄さんに違法建築で壊すと何の建築できない場所だというお話を聞いたような覚えがあります。立て直す話はないんですか?という私の質問に対しての答でした。
私の夢は、宝くじが当たればですが、貸店舗のままになっているあの場所に当時のままの映像がない黒いビニールのいすで「新生スウィング」を・・・全然お客様がこなくてもいいや!って本を読みながら暮らすことです。って言ったら「怠け者」でしょうかネ。
組合長:後半の気持ちはとってもよく分かります。

2002.11.02 マッチとバッジ コリ様
渋谷のSwing!学生時代によく行ったな〜。
ちょうど、レコードから映像系に移る過渡期だったけど。
壁にかけられたウッドベースとかおやじさんの若い頃のミュージシャンと一緒の写真とか懐かしい。あの狭い便所もね。
記念の品のSwing特製バッジとマッチは今でも記念にとっていて、想いで深い品。もう一度、玄関のカランカランとなるドアベルを鳴らして店に入ってみないな。
組合スタッフあき:特製バッジとマッチ!見てみたーい!

2002.10.21 何処行ったの? Jirj様
渋谷のスイング。懐かしいです。
私は金沢に住んでおり、一ヶ月に一度、東京へ出掛けていました。暇があればスイングに行って時間つぶしをしていました。
ある日行くと、【休業中】の貼り紙がしてあり、翌月には【廃業】となっていた。
おじさん、おばさん、娘さん(?)、何処行ったのー? 懐かしいです。

2002.09.29 昔はよかったな・・・ T.Tおじさん
お気に入りのジャズ喫茶、池袋ジャンゴ、新宿ビザール、渋谷ジニアス、仙台カウント、そしてタワーレコードやディスクユニオンのあとはスウィングで一休み。
小奇麗でお洒落なマスターと謎めいたお姉さま(娘さん?)。他のジャズ喫茶がバタバタと廃業している中結構頑張っていたが、ある日ドアーを開けると「レコード売ります」の貼り紙と段ボールの山。いよいよここもかとガッカリ。
でもその後も当時珍しいジャズ専門の映像喫茶として楽しまして貰ったな。昔は良かったけど今も結構良いんですね。新しくジャズ喫茶を始める人がいるんです。自分の夢を託す意味でも応援したいと思います。

2002.6.1 そうなっていたんですね!  横浜市 中山のT.Y.様
35年前にジャズに熱中していました。
昨日、家内の友人のジャズボーカルを聞きに行って、懐かしくなってジャズ喫茶を検索してスウィングの文字をみつけ驚きました。
当時、水道橋のスウィングはスウィング系のレコードが多く、渋谷百軒店のスウィングはデキシーランドジャズを聞かせていました。その後、渋谷は時代に押されてモダンジャズ喫茶に変わりました。それが映像系になっていたんですね。私の頃はオジサンのご主人で、味のある店でした。

2002.3.20 まことに残念・・・ toshi様
私が中目黒に住んでいたころ、暇さえあれば滅多に見れないJAZZ VIDEOを見に行ってました。
ジャズメッセンジャーズの初来日(だったと思う)の貴重な映像を見たのを今でも覚えています。確か東京放送(現TBS)のヤツだったと思いますが、若き日のナベサダさんやショーター、リーモーガンの姿を見て感動していたものです。
あんなジャズ喫茶に、また行きたいと思っているのは私だけではないと思います。

2002.1.21 だって看板 与太郎様
学生時代、人ごみを避けるための唯一の憩いの場としてたまに行ってました。
10年たった今、たまたま澁谷勤務となり懐かしくてあの階段を登るとないっ!?案内看板はいまだに光っているのに?
昔、あまりにのお腹はすいて「何か、食べるもの注文できますか?」と頼んでみたら快くトーストを出してくれたママが懐かしいです

2001.12.20 閉店してたのか、、 Furukawa様
渋谷へ行く用が有り、本当に久々に寄ってみたら、、、、閉店してました。
あの独特の雰囲気やあのちょっとインチキくさい?(笑)マスターにもう会えないのか、寂しい限りですね。
真夏にあの店にいくと本当に別世界に行ったみたいで、まずいHOTコーヒーもなぜか好きだったなー。
僕の人生観を変えたフリージャズのよさを教えてもらったのは、あの店でした。
どう見ても採算度外視だったでしょうが、本当にご苦労様でした、感謝してます。
ところでマスターまだ元気にしてるのかな?

2001.9.11 そうでしたか。 横浜市緑区 T,S様
はじめまして。ジャズ歴30年のものです。最近子どもと渋谷に行ったときに、たまにはSWINGにでも行こうと思いいったのですが店はほかの飲み屋さんにかわっていました。
学生時代の頃、渋谷の百軒店にあったSWINGですがその後、映像中心の店にかわり場所も移りました。
ぼくとしては前の場所にあったSWINGがとてもすきで、彼女とよくいったりもしました。
選曲がとてもよくきれいなママさんがいたのを覚えてます。
ところで私の事務所の名前のDUETですが、渋谷の横丁にありました。
学校が渋谷だったのでよく行きました。その後東急本店まえに移ったのですが、ここも閉店しました。
昔のDUETのことも取り上げてください。

1999年9月4日 あそこが 「SWING」だったのか、、、。  koji takahashi様
大学時代に友達に誘われて一度だけ「SWING」にいったことがあります。今日、たまたまこのページにアクセスすることができ、 「そういえばそんな所があったなあ」と思い出し、これを書いています。
店に入って紅茶を頼むと、リプトンティーバッグの入ったカップが出されたのには驚きましたが、なかなか現代にはない亜空間で楽しめます。
閉店したことを今日知り、ちょっとがっかりです。ああいった店を一度だけでも体験できたのは本当に貴重な体験でした。あの外からでは営業しているのかしてないのかわからない入り口は今も鮮明に僕の記憶の中に残っています。 

1999年1月17日 「しまった!渋谷スウィングもうないの?」 小野 隆
数年前から入り口までは行くんだけど、「ま、今日はいいか」って寄らなかったんです。
15年以上前かなあ、初めて店に入ったときはなんでみんな俺の方見てんのかと思ったらでっかいモニターを見ていたのでした。はじめて見る動くコルトレーンや、踊るモンクがいて感激してしまいました。
一度入ると、もう一本もう一本と見てしまい5,6時間いるのは普通でした。夏の暑い日にビールを頼んで、半分うとうとしているとおやじさんがいきなり高校野球に切り替えたりする、変なジャズ喫茶でした。交代にくるおねーさんがいましたよね。娘さんだったのかな?30分くらいで帰っちゃう客もいたけど、俺みたいに延々と粘っているのもいたから、儲からなかったんかな。
おじさん元気だといいけどな。

1999年1月10日 Millaflore様  
大学生の頃、jazz研の飲み会の帰りによくいってました。初めていったのは新入生歓迎会の後でしたが、入ったとたんに体中が痒くなってその時初めて自分がネコアレルギーだったという事を知ったのが、思い出です。
仲間内ではオッチャンいつまで持つかな。。。と噂したものでしたが。残念です。
あそこは、jazz好きの、本物jazz喫茶だとおもいます。27サイ、今はOL,

1998年4月22日 清野様 「ほんと残念です」 
去年の年末、改装でしばらく休みます、との案内を見て今年1月にまたでかけたところ、なんと、閉店します、との衝撃的なメッセージ。うーー。ほんとここ好きだったのに。ほんと入りやすいし、居心地のいい店でした。ひまだとおじさん(マスターというよりこのほうがぴんとくるなー)が、ビデオのリストを持ってきてくれて、リクエストしないか、聞き!にきてくれました。
からだでも悪くしたんでしょうか。なんか心配です。ほんと僕にとってこんな居心地のいい店はほかになかったんです。
とにかく残念。

97年8月18日 河村葉子様 「あの猫は寄ってきても、すぐ逃げちゃうんだな・・・」 
いやー、いい店ですよ。入りやすい、居やすい、リクエストもしやすい。 コーラ薄いんですか?頼んだことなかったんで、知りませんでした。でも、ビールはすごくおすすめ。冷え具合にはムラがありますが、小瓶とあれだけのつまみで、700円。お値打ちだなあ、といつも思います。
だいたい、昼間から女の子が!一人で行って、ビール飲める雰囲気なのがいいです。雰囲気といえば、リクエストのしやすさはも大きなポイントですよね。 
そうそう、猫も要チェックだけど、店のご主人のくわえタバコも、激しくチェックしたいところ。なんか、めちゃくちゃかっこよくきまっていたなあ。東京近郊を離れて1年ですが、あのご主人は未だ健在なのでしょうか。
スウィングは、時間の流れが外とは違うかんじがしてました。ふと気がつくと2〜3時間はゆうにすぎていたのを思い出します。Bunkamuraのイベントの時の待ち合わせや時間つぶしにもよく利用してましたが、のんびりしすぎて遅れそうになることもしょっちゅうでした。
組合長:「入りやすい」とは意外なコメントでした。私は足がすくみました。

97年7月24日 青山 様 「営業妨害ではありません」 
何故か映像オンリーの店。かかっている音楽もニューオリンズ、モダン、コンテンポラリーからどう聴いてもJAZZには聞こえないものまで幅広い。当然客層もロック系やブルース系の人までいて幅広い。
だから渋谷スイングでは『自分の聴きたい音楽がかかるまでひたすら待つ』という方針で臨んでいます。たとえマスターが順番を間違えても文句は言えません。


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